まるでちょんまげハリウッド

ちょんはり師匠の生きざまを切り売りしています。

イチオシは転職体験記!それ以外は、いい歳したオッサンの反省です。反省はしますが、後悔はしていません。たぶん。

敷かれたレールなどないよ、ということ

盛り上がってるね、レールの話。

ということで、その流れに乗っかって書いてみましょう。

若干乗り遅れた感はありますが。(電車だけに)

レールではなく、分岐

そもそもなんですが、僕は人生において敷かれたレールなど一つもないと考えています。

生きてる以上、誰もが同じ条件でレールが敷設されていることはありません。

レールは自分で敷きながら進んでいくのです。

他人のレールの敷き方を参考にして、それをマネして敷いていくことはできますが、用意されていることはありません。

あるのは、「分岐」だと思うのです。

その分岐に立たされたとき、これから自分がレールを敷いて進む先がどうなっているかが違うのです。

分岐の先が、既に整備されていたり、どのようにレールを敷いていくのか、ある程度見通しがついていたり、はたまたレールの敷き方がある程度示されていたりするのか、

それとも、

未開拓の土地を自分で切り拓いて突き進んでいくのか、

という違いがあるのです。

分岐の先にレールはなく、分岐に差し掛かって、自分の進む先を選択していく、ということなんだと思います。

「この道をいけば、どうなるものか?(略)1、2、3、ダーー!!」というアントニオ猪木氏が不意に頭をよぎります。

猪木詩集「馬鹿になれ」 (角川文庫)

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選択の積み重ねが今の自分になる

今の自分があるのも、過去に分岐に立たされた時、そうなるように選択してきた結果だと思うわけですよ。

同じような分岐に立たされ、同じように選択をしても、レール敷いていくのがうまい奴、早い奴もいれば、逆に下手な奴がいます。

どんなレールを敷いてきたか、他人がそれを見たときに、それが生き様として映るのでしょう。

そして、それに憧れたり、あんな生き方はしたくない、などと思われるのでしょうな。

あるいは、自分の敷いてきたレールと比べて、「こうしたほうがいいよ!」と言ってみたり。*1

それに耳を貸して、まさしく軌道修正するのも、そうしないのもまた自分の選択なのです。

え?今の私ですか?

人にお見せできるようなレールの敷き方してませんよ(笑)

現場からは以上です。


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カナシミ

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*1:親切心なのか、はたまた?というのは置いといて