■家族の車との別れ。
うちには今、2台車がある。
1台は、たびたびブログにも書いている、某スリーダイヤの「某:5」だね。
ギャラン・フォルティス・スポーツバック・ラリーアートから乗り換えた、僕の車。
それとは別の車がある。
イプサム君は、初代モデルの後期型だから、もう15年以上の付き合い、ということになる。
そのイプサム君と、お別れしてきました。
■いろんなところに行きました。
親父が買った車だし、僕が免許を取る前からあった車だから、どちらかといえば運転するよりも後部座席に乗っていることのほうが多かったかな。
初めて免許を取って、実家の山口まで帰ったのも、このイプサムだった。
懐かしいなぁ。
あのころはまだ親父が生きてて。
親父とお袋と、僕の3人で交代して運転したな。
山口に向かう途中、愛知、京都、そして大阪で一泊したんだ。
愛知と京都では、親父の大学時代の友人に会い、大阪ではおじさん(親父の弟)に会った。
結果的に、あれが家族そろって山口に帰省する、最後の車旅になったんだけど、今でも思い出に残っている。
■思い出を一緒に乗せて走ったクルマ。
大学受験のとき・・・、仕事で終電逃しておかんに迎えを頼んだとき・・・、好きだったあの子と一緒に。
本当に、イプサム君との思い出はたくさんあるね。
クルマやバイクとの別れがつらくなるのは、やっぱり「単なる道具」としてではなく、そこに記憶が結びついちゃうからだろうね。
家族の一員と言ってもいいくらい。
あぁ、そうそう、親父が有明の癌研で息を引き取って、妹を隣に乗せて、ベイブリッジを渡ったな。
親父は12月31日、年が変わる寸前で息を引き取った。
だから、ベイブリッジを渡ってるときは、もう新年になっていて、親父を去年に残したまま、遺体と家族と車だけが横浜に帰ってきたんだよ。
あのとき、みなとみらいのランドマークタワーがやけに赤く見えて。
イプサムのハンドルを握りながら、これからどうなるんだろう、どうすればいいんだろう。
ずっと考えてたっけ。
そういえば、じーさんの乗る軽自動車にもぶつけたな。
不幸中の幸いで、向こうもこっちもけががなくて、なおかつ私有地だったから「物損」で済んで、ゴールド免許のまま今にいたるんだけども。
■お袋が死んで・・・
家族の一員、イプサム。
でも、やっぱり別れはやってくる。
ずっと乗っていたかったけど、そうもいかないんだ・・・。
2012年の10月に、お袋がこの世を去ってからだから、足かけ3年になるんだなぁ。
その間に、バッテリーあがりを三回もやらかした。
1年に1回はやらかしてる気がする。
一回目はいつだったか・・・もう忘れちゃったけど、あ、1周忌のときだったかな。
そのときは、ディーラーの人を呼んだんだった;
二回目は、去年の1月くらいだった気がする。そのときは、買ったばかりの某:5くんにブースター・ケーブルをつないで自分でやったな。
そして、3回目は、つい昨日。
JAFに入ってるので、JAFのスタッフ呼んだよ。電圧が10vまで落ちてた。
でもバッテリーが新しかったから、30分もエンジン回したら全然問題なかったよ。
バッテリーがなぜ3回もあがったのか、理由は簡単。
お袋が死んで、乗る人間がいなくなったから。
■やっぱりクルマは、乗ってなんぼでしょ!!
高級車や、名車、希少車や、その人の価値観によっても違うと思うけど、まぁ、「一般大衆車」、「乗用車」として生まれ、「一般家庭」に買われた車であれば、どんどん使って、乗り回すのが正しいでしょ。
うちだってそうだよ。
CDの読み取りがいまいちになって、今では珍しいCD式のナビが動かなくなっても、お袋が乗っていたよ。
人や荷物が載せられて、しかも5ナンバーサイズのイプサム、ほんとに扱いやすかったからね。
メーターをみたら、9万7千キロを超えていたよ。
お袋がいなくなってから、年に500キロも走っていないと思う。
その期間を抜きにして考えたら、大体1年で1万キロくらい走ったのかな。
■最後のドライブ
もうお別れなんだなぁ、と思うと、とたんに別れたくないと思う。
この業の深さよ。
JAFのレスキューのあと、とある場所までイプサム君を走らせてきた。
あの日、お袋が倒れた日。
お袋が最後にイプサム君を止めた場所。
目的地は、横須賀のLIVIN。
お袋が最後にフラダンスを教えに行った所、横須賀。
いつもお袋が通っていたであろう、横横*1を走る。
そして、ドライブしながら、イプサムくんの扱いやすさに改めて気付く。
出足が非常にスムーズだ。これは、今の某:5君より全然いい。*2
まぁ、デリカはその車重や、ギア比、ビッグ・トルクを受け止めなきゃいけないこと、想定されるユーザーや用途を考えてのことだし、比べるのがあほなんだけれども。
小難しいことは抜きにして、出足、80キロくらいまでの加速、高速巡航と、一言で言えば「いい感じにまとまってる」。
横横を抜けて、本町山中有料道路を走っているとき、横須賀に停泊している「護衛艦いずも」が、ちらっとだけ見えた。*3
そして、平成町に入り・・・目的地のLIVINへ。
屋上駐車場へ止める。
猿島がよく見えた。
んー、ただ駐車場に止めるだけ、っていうのもなんだから、店内へ入る。
お、なんだ、今日は28日か。ニワトリの日だな、ってことで、KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)に。
そういや、よくお袋はフライドチキン買って帰ってたな。
フラダンスを教え終わって、料理する元気もなかったからだろうけど。
懐かしくなって、思わず買って帰ったよ。そして、車内で、3個あったカーネル・クリスピーを一個食べたよ。
妹と二人で3個は分け合えないからね。争いの元になるものは、先に排除しておかねば、ってことで。*4
■最後に洗車。
クリスピーを食べ終え、さらにロッテリアでカレーチーズバーガーも食べ*5、LIVINを後にする。
そのまま帰ってもよかったんだけど、もう少し乗っていたくなって。
オーディオはお釈迦になっているので、AM・・・も、NHK第二しか入らないのかよ・・・。
仕方なく、福祉について、30分ほど聞いていた。
福祉番組、最後まで聞いてラジオは止めた。
久里浜のほうへ足をのば・・・そうとして、犬の餌をやらなきゃいけないことを思い出し、目的地を自宅にする。
自宅に近づいた時、またも思い出したように洗車場へ。
最後だから、キレイキレイしたげよう。いや、もちろんする義務はないんですけどね。
でも、やっぱり10年以上も一緒にいたんだもんね。
イプサムくんが、ほとんど故障なく走ってくれた感謝の気持ちをこめて、キレイキレイ。*6
と、きれいごとを並べつつも、最後の最後に手を抜いて機械式洗車にぶっこんでしまった。
イプサム君、ごめん、手で洗ってあげるべきだったよね・・・と、後悔したけど、やらないよりはいいでしょ・・・というまさかの俺クオリティ。
だって、洗車場が閉まる寸前だったんだもの。
そして、今日。
荷物をおろして、エンジンをかける。・・・うん、一発始動だ。
最後に、ディーラーに行く前に、墓参りして来ました。
お彼岸は忙しくて行けなかったしね。
親父とお袋にも報告してから、ディーラーに行った。
いつも担当してくれる営業さんが、「10年以上も乗ってるとは思えないほどきれいですね。」と褒めて(?)くれた。
・・・。
妹がもっと車に乗れていれば、あと5年は活躍してもらうはずだったのに。
タイベル変えて、ウォーターポンプも取り換えてっていう、10万キロの儀式も済ませて。
行けるところまで、一緒にいきたかったなぁ。
もう、きみのハンドルを握ることはないと思うと、本当に寂しいよ。
家族の車、イプサムくん。
ありがとう、イプサムくん。
さようなら、イプサムくん。
君のことは忘れません。
Thank You!!