■ばーちゃんが田舎に帰って2か月。
以前、このブログにも書いたけど、僕には祖母がいる。
認知症の。(倒置法)
ばーちゃんの認知症発動が半端ない。 - まるでちょんまげハリウッド
認知症の身内がいる、それを介護するのがどれだけ大変かということを、忘れないうちに書いておこう。
■認知症、本人もまわりもツライ。
認知症になると、どうなるのか。
なったことがないから、これは正確ではないかもしれない。
ただ、ばーちゃんによれば、「不安で仕方ない」ということだった。
「何がわからないのかが分からない」という不安。
今までの自分とは何かが違う、という感覚があるのだという。
しきりに、「わしはどうなってしまうんじゃろうか・・・」と言っていたのを覚えている。
■身内で介護をすることについて
うちの場合は、僕と妹の孫二人で世話をしていたんだけれども・・・
まぁ、8割、いや9割は妹が面倒を見ていた。
残りの1割、自分が何をしていたかといえば、病院まで車を出したり、夜間に救急へ連れて行ったりと、ほとんど運び屋的なことをしていた。
当然、負担は妹のほうが大きくて。
妹曰く、「あたし、あと一か月ながく世話をしていたら、きっと手をあげていたと思う。」というセリフが出てくるほどだった。
まぁ、もともと人間関係からくる「うつ」で仕事を辞めていた妹が、母親ができなかった(母から祖母への)親孝行を、代わりに(妹から母への)親孝行をする、という理由だけで、よく頑張ったなぁとは思う。
■昼夜を問わず、自分を呼ぶ声が。
昼だろうが、夜中だろうが関係ない。
赤ん坊は、おなかが減ったら泣き、排せつがあれば泣くと聞く。
あれを、言葉のわかった人間がやるんだ。
深夜3時に、「おにいちゃーん、おにいちゃーん!」と、寝室から僕を呼ぶ声。
最初のうちは、仕方ないと思っていたが、回数を重ねると、だんだんイライラしてくる。
度重なる「おにいちゃん」コール。うんざりだ。
「クソババァ」という風に思ってしまったことも否定はしない。
ばーちゃんが辛いのはわかる。
ただ、次の日、僕には仕事があったりする。
悲しいことに、そんなときでも、「自分の都合」とか、「面倒さ」というのが頭の片隅に、いや、大部分を埋め尽くしてしまうんだな。
■自宅で介護をすることについて
いろんな本とかで見る、認知症となってしまった親を「叱ったりしてはいけない」という・・・、アドバイス?方法?
確かに、書いてあることはわかる。理解はできる。
どのように接するかで、認知症の進行が変わってくることもあるのだとか。
分かる、わかるよ。
でもね、こっちだって人間だ。ストレスだってたまる。
なんでばーちゃん、認知症に!とか、しまいには、なんで両親が早く死んでしまったことにまで腹をたてるように・・・。
ばーちゃんに早くお迎えが・・・とまでは、さすがに思わなかったけれど。
「介護疲れによる殺人事件」というのを、見聞きして、どう思うか。
殺人というのは、許されない罪だが、「介護疲れ」がそこまで人を追い込んでしまう、ということには納得がいく。
限界がきちゃうんだよ。
世話をするのは、犬や猫といったペットとは違う。
人間を世話すること、というのはとても大変だ。
■言葉の通じる相手だからこそ。
犬や猫は、家族と同じ扱いをしているとはいっても、やはりヒトではないから、言葉は通じない。
こういうことを書くと、「うちの子はわかるわよ!!」なんて言われそうだが、それはたぶん、音声や、蓄積された経験による本能的な反射によるものだろう。
なので、↑に対する反論は水掛け論に発展するのでこれ以上はかかない。
あ、でも言葉は通じなくても、感情を読み取る能力はあると思っているよ。
さて、何が言いたいかというと、言葉の通じない動物を飼っているんだから、面倒を見るのは当たり前。
それが飼い主の責任であるし、なにせ飼い主がいないと、ペットというのは生きていけないわけです。
野生化して生きる、とかそういうのは置いといて。
自分がいないと生きられない。動物を飼う、というのはそういうものだから、納得して、たまーに朝5時とかに起こされたりとかもするけど、それでも餌をやるわけです。
ただ、これがばーちゃんになると、「面倒さ」のほうがなぜか肥大化してしまうんですよね。
なんでだろう。これは、言葉が通じることにあるんじゃないかと。
言えばわかるんだよね、人間だもの。でも、僕が言ったことができるか、というと出来ないことも多いわけで。
あと、ばーちゃんには万一のためにオムツを履かせていたんだけど、実家に送り出す前に、頭の血管が2,3本切れそうになった事件があって。
■なんのためのオムツだよ!!オツムの中身大丈夫か!?
結果的にいえばオツムはやんわりダメになっていってんだけどさ。
ばーちゃんが寝ていたのは、うちの両親が使っていたベッド。
フランスベッドの、かなりいいマットレス使ってたんだぜ。
しかもダブルベッドさ。
値段がいくらしたのかはわからない。
でも、事件は、ばーちゃんを送る2日前に起こった。
夜中、一人でトイレに行きたかったのだろう、ばーちゃん。
あろうことか、ベッドに腰掛けて、そのまま用を足してしまった。
しかも、律儀に、履いていたオムツを脱いでたんだよ。
当然、マットに全部しみこみ、そればかりか、電気毛布*1もお釈迦にした。
「てめーが仏になる前に・・・」という言葉は出なかったが、いまだに腹が立っているので、認知症では片づけられない感情があるんだな、僕の中に。
まぁ、「認知症だから・・・」で片づけなきゃいけないんだけどね・・・。
相変わらずの画伯なので、ベッドがダブルどころか、キング・・・カイゼルサイズ?に見える。
スマン、画伯で。
それも先週捨てたよ、親が使ってたマットレス。
■もしも、身内の介護をすることになったら。
特に老人介護に限って書くけれど、一人で背負い込むと「終わる」。
よほどの忍耐力、いや、愛情がなければ、負け戦になること間違いなし。
ビジネスでやる介護とは違う。
介護士というのは、お金をもらって働く、つまりはプロだ。
ノウハウを持っている。
頼れる、使える介護サービスがあるなら、使うべきだ。もちろん、金銭的な問題も絡んでくるが・・・・
一人で抱え込むと、悲惨な未来が待っていると、僕は思う。
これは、妹を見て思ったことだ。
ばーちゃんを送り出す1か月ほど前に、デイサービス、ショートステイのサービスを利用したのだが、ほんの数時間でも、妹は「心の平穏を保てた」と言っていた。
昼夜を問わない、「おにいちゃーん、妹ちゃーん」という非常呼集。
世話をする側は、精神をすり減らすばかり。
ばーちゃんも辛かったのだろう、でもこっちだってツライ、泣きたい。
なんでこんな目に。
ばーちゃんが認知症でさえなければ。
本当に、認知症介護はいばらの道だ、生ぬるい事ではない。
これから介護をしなければいけない人、運よくホームや施設へ入れる環境が整っているのなら、入所してもらったほうがいい。
実の親をホームに入れるなんてかわいそう!と思うのもよくわかる。
だが、1か月も介護してみると、介護の大変さ、身に染みるだろう。
あと、介護する側が疲れてしまっては、介護される側もハッピーになれないことを付け加えておく。
親の世話をする、介護には覚悟が必要だ、ということを伝えたい。
介護の大変さを教えてくれた、という点ではばーちゃんに感謝している。
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*1:今思えば、丸洗いできるタイプを買っておいてよかった。